夢見の実践-original( K-O's )
夢見への注-意( 条件点け ):印象,追憶,予起について
目次:
1.( 外界 )印象
2.記憶( 追憶 )
3.予め( 意と )
4.-メンタル( 予備 )
足:自乗効果

1.印象( 外界 )
( 夢見との )心理的印象つくる。
( 夢見のため )すべての身体的一致という意味での,行動,動作に因る印象点け。
( 私の例・)
落としてはいけないペンを早速落としてみる。( その一瞬の印象-反応に関連点ける。)

2.追憶( 記憶 )
なにかと憶い出される場合( それ自体によわない。)
それ自動的な記憶再生の反復( -常に対して )それへの追想ではなく,‘ 夢見 ’という(‘ わたしの追憶 ’しない。)

3.意と( 予め )
物事に先んじて‘ 夢見 ’とする。
すべては夢見であり( これのため )優先している。

4.-( 予備 )メンタル
今夕こんな“ 夢 ”場面が遇った。自動車道の大通り( 中間に分離帯,両側-広がった並木等が薄緑色の,淡いあかるい春先にみたような印象。)わたしは横断しかけて不図( こちらの視界右側に自動車等が信号待機していたのか, )歩きながらその視界左へとわたしの目を逸らした。その一見やさしげな道路両側-並木等の通り,中央分離帯上-少し向こうに,赤い天板のやや丸みがかった,小さな電話ボックスがみえた( その場には私の考え無かったのだが,それ自体の垂直半分くらい,まるで小さな女の子用の電話ボックスみたいだった。)わたしがその面に横断しながら歩くように移動する-と,あたかも“ 電話ボックス ”がその視界の中心となったかのように,その前後光景が大きく互いに平行回転しているようにみえるのが印象的だった。
〔 その“ 視界上の ”動きには,おそらく,私が先週偶々テレビ画面の自動車コマーシャルに視た,その高速道路のような一本道を走る自動車( -画面中心に捕捉されている, )その背景との前後が被写界深度の無い画面みたいにくっきりと迫って互いに大きくスライドしたようにみえる,という印象に遇ったのだろう。その印象が利用されたのか?
私が“ 夜道の電話ボックス ”について書いたのは先月26日( 2020-11-26:これって,神経? / “ 移動する右目(視野と焦点)”にて;)私が帰宅途中,久しぶりにこの喉の右-内側に微かな痛みが遇った。以前,私の夜道( そのような“ 痛み ”について )“ 神経性片側扁桃炎 ”というワードの思い着いた.私がちょうどその夜景-桜並木に視た処,その光景自体がミニチュア化したかの印象と不思議なった。
今度の“ 夢 ”には花は無く,昼間のようにあかるかった。“ 春めいた並木道 ”と“ 電話ボックス ”? --私の夜景からの印象に因る? 私の.. 但し,今この文脈では夢からの象徴物という話題ではないので,この質問については次回機会. 〕
(“ あれは電話ボックスだった ”という認識が起こったのは視覚的なその印象よりあと,その直後だった。)あの場面,私が醒めかけたのは,急にその“ 一点 ”についてその場的なに観察-考察が促されたからだろう。

;さても,観念物としてのメンタル副製品等には,それら自体からの“ 人-間違い ”や面倒となる.先ず原理的に‘ internalとexternal ’を弁えておけば,取り敢えず“ 夢中憑依( とりつかれ )”のような受身一辺倒の状態をやめとくだろう。

以上1から3までの,実際状況的な一連としての順に辿ってみると;
3.予め意としてみよう。
2.追憶にのまれている?
1.外界との印象に向かう..。
例えば道路上に遭っては,視界注意が当然でないなら?という理由なのだが.,ここでの予め意とするは,外部への“ 注視 ”対処という意味ではない( -つらい注目要請,なんのための外界注意という強制作業の類い.それが“ 眠らせる ”おそれ.,注目と履行のハードさとが分離させたかのように- )不図“ ものおもい ”に耽っている? ..それから( また )視界に移れば..
もし“ 外界( 視界的 )”の最中に,なんらかの“ 追憶( 再生 )”が起こったなら,それにはその時-直前の視野に写ったなにかか,物音,それに付随した連想の類い,または自身の条件的な要素( その記憶された。)
意図的に自身の記憶として辿られるのでないなら,それら連想の殆んどは自動ロボットなのを,その元さえ想い出されない(“ 夢中遊行 ”の危険. )
対処的には,それら一々に‘ 今,見る ’優先と,自ら躾のような態度を付ける,表面的に。
[ 夢見者の先生方として,“ 身体と夢見とを結びつける。”という本能的な方法を摂ったのは当然だった。独自アレンジメントに拠り,特定の動作( 特徴的な体の動かし方,など: )一致的なハンドリング,過去メンタル問題よりも現在マインドフルネス,といったように。]
私の旧資料ファイル編- 夢見の実践f:“2:手をみる”

自己プログラミングに拠る改修( 心象-依拠-打ち消し・予定 )
(;私は一旦そのような“ 連想自動 ”に対して‘ 私はそれらに一切無視する. ’といいながら‘ 夢見化 ’こころみたけれども,無益だった。)かえって;
- すべてに監察する。従来の警察型や対立型にではなく,ただ“ あらわれ ”そのものに( 情感的な反応や判断の必要性? )
- むしろ“ 連想ロボット自体のあらわれ ”と,‘ 見る ’条件点ける。
ある“ 要求 ”自体の原因が不明であると,それは常にいつどこであろうと睡眠-夢のように成り代わるだろう,‘ ’無しに。
“ 悪夢 ”に対する,対立的な目的?が私として優位である場合( -増強される. )若しくは‘ 知ろう ’が立つ。それってなんだろう?
逆接の問題. ]
主体者-それ自体がひとつの“ 粒 ”である-と..思いつかない。わたし(自身)の取り合う?
試みに,あらわれに一々対向したり“ 同一化 ”したりしない,その目的は夢見への‘ 純化 ’,清澄という[ 自明夢へと。]

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? 自乗効果( つづき )

明晰夢見への考察( 論稿 )

Dec.2020/ Kohshiroh Okeda