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明晰夢見の方法?

2022-03-29: 明晰夢見の方法?(こころみ)
3. それ自身の認識やめ,気がついている( “ これは夢だ ”の )中心だけ。
[ - 晒されている感覚,本位(自覚の,)]
1. 予め,特徴的に表れる観念・思いつきすべて-“ 夢 ”

;この1--3を繰り返してみる(何度でも,できるだけ,)但し,念じるためといって話しかけたりしないように。

2022-03-31: 私が先に
数日間(また風邪にやられたみたい)具合すぐれなかった。夢の表れか場面みようとしたが(その度)途端に目覚めてしまった.,そのあと(その寝るまえに開き対応したかの)詰まらないお喋り最中のような状態(それもなぜだか閉館時刻直後や閉店時刻直後。)あたかも私の普段こそ無意味なつくりばなしで,“ 実体 ”にとっての眠りに過ぎないのでは?
たとえば“ 人間 ”ひとつの次元として,ただ何かをやれるかそれともやろうとしている( そう信じているかの )面といっただけ.,‘ 自発体 ’の方が夢見に向いているのだろう。
認知としての私が先んじていた筈なのに,“ドリームタイム”に縛られている( 時間の生まれるまえかもしれない. )

2022-04-01: (憶い出しという)条件と記憶
これ以前に,私の“ 夢だ ”だと気づくための条件点けとして( 要素等の比較的にみて )効果的だったと思えるのが,憶い出そうとするとの注意である。
‘ 憶い出そうとする ’自体は記憶内容の具体性とは無関係だから,この適用の全体である。
これと一致するように,例えば“ 一挙手一投足 ”( 身体うごかそう-という意味での, )を合わせれば,もっと全的な予約ができる。これは自動(オート)に対する自発的という先ずの意味合いである。
これ夢見のモーメントを確約するためだ。しかし,普通夢の受け身のような状態には直接作用しない。上記の‘ 予約 ’方法は(どちらかと言えば,普段に)アウェアネスの意識度を高めるのには役立つ。
見る,聞く,触れる,食べる,動かすなどが主体行為としての同一されていなかったならば,この方法に於いては,受動性または感覚要素との現場条件化となるだろう( この点が明瞭にならない場合,例えば“対象”に向かってなんらかの判断を要したが(それの“夢”とは意識されないまま)普通の状態に移るおそれがある. )
“ ぼんやり ”状態自体との条件点けが難しいのと同じで,たとえば身分け-同一化された内容自身が予め夢見の脈に乗っていなければ,この観察-監視者の視点は在り得ない。(つづく)

〔 イメージ,朝方 〕路上,十字路に来たような処,前方-左に神社の囲い,右角に近い舗装路面に(その右側からの短い平行白線が)ちょうどその角とのラウンドを描いたかのように直角にもう一方へと同じ長さに繋がっている( 接続が四角ではなく丸いL字形。 )
〔 イメージ,午後 〕両羽根と昆虫の頭のような姿(それがその両腕でなにか角材のような物の端を置こうとしている処。)これのまえにも一度だけ,単純な形の暗い頭部に丸いオレンジ色っぽい半透明-両目が出ている( 半ば擬人化された蟻を想わせるような )姿が遇った。

2022-04-02: すべてに予測する( 慣習化する )

Q&Aでの記述:
Q. 自動的な“ 記憶参照 ”は感覚された内容物のことといえるか?
A. どのように憶い出されたか,に拠る。
Q. 例えば,何かに見入った場に,それの対象との間に,特定記憶(物)との比例見当が起こる,とする。そのような自動的記憶参照といえば,その記憶の再生された“もの”が,以前に夢見-条件点けされた‘ 感覚自身との ’という定義に当たるのでは?
A. だが,“もの”は感覚しない。条件点けられなかったら,それ自体から“ これは夢ですよ ”という論理にはならない。しかし,“もの”参照の度に,自身として同一しながら“それら自体”である状態に同化してしまうよりもこれ-機会だと視点的に捉えるとしたら,この視点の伴った記憶として次回再生できるだろう。仮に“慣れない感覚”が遇ったとすれば,夢見(これは夢であるから-)に直結していれば良い。
Q. もし,ある感覚自体が最初から‘ 夢見 ’という脈を持っていたなら,その場に直ぐ憶い出せるというわけでは?
A. 例えば“ 体外離脱 ”体験的な( 意識の持続しているような )身体的に一致した“ 感覚 ”に於いては,そう言えるかもしれない。その“ 身体 ”自体が,記憶された肉体感覚からの疑似的な形に因っている,という見方ではあるが..。
Q. 能動的想像が可能である場合に,それは“ 夢だ! ”というような一々の認知とは不必要か,その能動性について初めから“ 意図的の ”課題としている。
A. 現に,そういう意味合いだ。-“だれ”が話している? これって,なに?
(つづく)

2022-04-03: (続き)すべてに予測する( 慣習化する )

A. “ 記憶参照 ”の必要性なにか重要度であって,夢自体であるのかどうか,といった問いには乗りようが無い。常に質問は“夢”であるのかどうか? しかし,“質問”自体もそれかなにかとは認めていない。
Q. すべては“質問”である,と?
A. それ自体の必要なら。しかし,“質問”である,と認められていなければ,先ず“正答”に変わるかもしれない。感覚に対して演じる,というやり方が,なにかの可能性だとは限らない。
Q. 尤も,“夢”として演じるに過ぎるなら,“質問”にも“答え”にもまるで意味は無いのでは?
A. それは,夢見ない。“ 夢 ”での視点的-観察が可能であるといった場合( その現場に,こちらの観察者にとって )意味不明なものは表れる。-これはなんだろう? すごい! 私は“これが”といったので,“それ,なにしてる?”とは,たずねなかった。
Q. あれが直接的にそれとして表れないかどうか?
A. それなら感覚に対して演じる,というのと同じ。通常のすべては明晰夢見の実践に因っていない。通例“その実”が“この種”から直に出てきたとは主張されないのと同様にね。例えにも,なにかの子はその親を変えようと意図的に試みただろうか?
Q. しかし,一旦これは夢見からのものといった。
A. それらが夢見たとは言っていない。
Q. 通常のすべてが明晰夢見の実践に因っていたら?
A. すべてが自動的に“ これは夢で ”といいはじめるような環境条件が在れば,私=夢見であるのに,苦心しなかっただろう。逆説的に,“私(であることの)放棄”というように,関係可能性自体との問題も含めて,“反転した質問”という言い訳をやめざるを得ない条況もあるだろう。
(つづく)

予測をすべてに( 理論化する )Q&A式,3 -
[ カテゴリー推考にて,Q&A式-1以降を含む頁への概要リスト表示。]

2022-04-05:夢記録:かたらざる[ 乖離した, ]
前夜寝床に着いてから,またいつもの“名前”などが幾つか繰り返されたが.,私の今度‘ なににも応じない ’ -それらが勧誘であっても挑発であっても,(-わたし自身の慣習的な返答の癖も)なにもする必要は無い。‘ これは夢見のためだ ’という一致した意識だけが明るい。
〔 なにも無い室内,簡易の宿泊室みたいな 〕ひとりで隔たったようにひそんでいる処に,あるテレビ芸人(昔の,モノマネ系)ひとりが来て話しかけた。彼がなにを言いかけても私は一度も反応しなかった。向かい側の小さな間に彼が横たわって休んだか黙ったところで,その片側から若い男が現れてこちらをみた〔 視覚的に明るく照明されたかのような鮮明な印象で,その顔は白っぽくみえた,見覚えの無い。 〕彼がその芸人の傍らに来てこちらに笑いかけたとき,こちらからも思わず“笑い”という反応で(一瞬,あたかも示し合わせたかのように)答えてしまった。それが心理的なショックとなった所為か,その場面は終わった。
〔 私にとってあのような“笑い応じ”は子ども時代の振りか“習慣病”で,その直前までの意識的な試みが失した。私は寝床から起きたが,直後しばらくまたあの昔“子ども向け”テレビ番組歌が繰り返していた。私はそのようなものには一時期“のろい”と称したが,“私の(本質がいなくなった時の)象徴”という言い方もあった。 〕
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私の一旦成功した態度は(あたかも“人間的の”)通例化された対応を持たないという意味での,非-応答だった。なにかに答えようとする要請があったとしたら,要求,それらとの同一性であり,常に満たすことに慣れていれば,見るは難しくなる。

[ “わたしがあの‘夢’の男に物理的な他人のそれとして応じた”という見方も,不要である。なぜならそこに表れたものは“夢の分身”なのだから,私が視るべきだった。あの場に人間的な可否を示すような対応でなかったら,私は彼のなにかを査証しようと試みただろう。謂わば,私は乖離されていた。
無論,普通の状況では他者や事物だったが,私に遇ったものすべてはそのように“夢の分身”だった。 ]
“わたしが屋内廊下から階段を下りていった処,玄関内に女性ひとり来ている(2022-03-23 日付)”-明晰夢ではなかったが,上記の夢との相似(または視点の反対)みたいだ。

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