すべてを根本的否定する(明晰点)- 論理回路を書き直す

2022-06-10: すべてを根本的否定する( 明晰点 )
喋りながら歩いている子たちがなにか意味ありげな言葉を発していたかのようだが,どれもはっきりと“口写し”だとわかった。だが,それ以上に問題だったのは“ここ自身”だった。
[ 私は“路上拍手笑い”に反応するような部分を自らころそうとしていた。 ]
昨夕も例えば“新栄2”という交差点の路上障害( 既に述べてきたように,私は常に物理的な近道だけで,何年間も“まち”ではなかった. )私がそのように特徴化すれば単に今更に“それ自身”詰まるか( -たとえば“P大統領”や“グレタT”にも憶測-観測しては,それが現状だからなにも解消していない,といったように. )
しかし,先ず(なによりも)すべてを根本的に否定する早道だ。

2022-06-11:
すべての心理的動向への神経的理解

“高速移動する未確認飛行物体”に関する論議

2022-06-09:
(すべてに)明晰夢-連想する
憶い出すに憶い出させる
明晰夢見の明晰夢見

2022-06-13: “普通”回路すべて書き直す
“注目の的”は自己の関心自体である。
“注目の的”は容易に方向転写する。
明晰夢見とは無関係なものが表れたら(私がその度に論理回路自体を書き直すように)明晰夢見の条件化する。
( “現実”は変容するか? )
関心無関心との間。
( 常に関心と無関心との境い目に視つづけようとすると,ショックの感じられる場合もある。覚醒と睡眠との差に等しい。見失われ易いので,この作業には独自の訓練が要る。 )
観念的なものすべてには別の元型があるという見方。

2022-06-16:
〔 ..ある乗用車の中。何人かが同時にいるような。フロントグラス越しにみえる,街の自動車道。直前からなにか“もしこれが夢だったとしたら..”というような漠然としたおはなし遇った。 〕
わたしは(不図した思い付きみたいに)わたしの両手を伸ばしてフロントグラスにそっと拳骨を押し当ててみた。グラスのその部分はわたしの両手圧力に拠ってわずかに軟らかい材質であるかのように凹み(わたしが更に指で押し出そうとしてみると)指はその外側へと貫いた。
“ まさか,本当に‘夢’だったとは! ” 私は声に出していったようだ。
〔 だが,そのあと?自動車ごと,ある町内のような下りコンクリート坂道の部分に回り込もうとして(その上から視ているかのように,半ばこちらで操作するようにして)狭いところに動かそうとしていた. 〕
-
〔 ..ある一家の居間にいるようだった。3つめの男児ひとりは傍にいた(親類の子みたいな。)彼とは少し話したようだが,他の印象は無かった。 〕
宅内,居間のような。男子数人,婦人2人,あたかも夕食か夕涼みの最中みたいな。そのテーブル端,その父親のようなひとりの傍に,テレビ用の切り替えボックスか(青色に+-ボタン等の付いたプラスティック面,)わたしの姿が見えないようなので,わたしはわたしの指でそのチャンネル切り替えボタンを押して彼らがなにかに気付くかどうか試してみた。婦人のひとり,こちらには見えないといった娘の様子だったが,その横に母親か,私の方をみてなにか話しかけようとした。私は“明晰夢見の実践を(ご検索ください)..”と言いかけたが,その途中“夢”から空白に移ったかのように覚めた。

そのあと,私はその睡眠の直前に私がどのような態度であったのか憶い出そうとした。私はこのあいだ“ この明晰夢見という目的にとっての不必要な要素 ”に対しつつ,それらの本当に無用であったのに,いつまでも過去からの慣習因習にとらわれているかのような,無意味な繰り返しばかり..と,ただ憂鬱に呟くようだった。だからこそ,それらは私とは無関係なノイズ過ぎ,自動意味的に抽出されるものすべては記憶との悪習慣に過ぎなかった。
しかし,それらの意味合いだったとしなくても,問題ではなかった。そんな私自身の無いかの“ひとつひとつの普通の”瞬間にも私は‘ 夢だ ’と言おうとしていた。

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2022-06-25:
絶対(観念)自覚点-衛星[;あらゆる同一性を無くす.
最も良心的な態度は( 反対側それらが一回も言おうとしなかった“ 最も通りにくい細い路 ” )]
-“ 観念の消滅する点 ”
- 注目自体の問題( 夢の論理に因る. )