消えた時間(対象なきプロ-ジェクション)

2020-11-11:
中指自体に拠るペン-プロペラーを試してみた。私は未だ私自体に拠って‘ 夢見 ’をしたことが無いかのようだ。

2020-11-12:
普段わたしの中に“ あるひと( もの )に関する-におい ”が再起された場合に,‘ これは夢見である ’と記憶条件化している。( -たとえ,あらゆる“ 自己 ”イメージが一々にと対象化されてしまい“ そこに存在している ”かのように投影されるとしても- )自身のこれらまたはこれとして認識可能であれば,‘ 夢見 ’( 普段に )恒常化するだろう。
すべて'常に手前にという言い回しに拠り,対象にひかれる者には警句である.なぜなら,かれにはその目につくすべてが‘ 投射 ’だったとは認められなかったからだ. )この手前からであるとき,私は不意に視覚的なあのミニチュア感とみた。あの以前“ 夜景 ”程ではないが,あたかも“ 外界 ”対象化がそれらを物理的な大きさとみせていたかの。

2020-11-13:
良気を掴えよ( 良気よ戻れ。)
今朝も‘ 私の意 ’不在の( “ 夢 ”自体に )ねむっていた。身体的統一感という意味での良気は一だ,20才代のウェアリングが今だ‘ 呼吸 ’としている。神意という言い方が( 他のものではなしに )きれいであったら。

未来への夢見。
[ 警告: 今夕,私が図書館から図書館へと自転車で向かうあいだに,女子中学生たちのげらげらや,所々に“ こっち違いますよ. ”と何か繰り返しのように言う男子グループの何人かがすれ違いに遇った。私としてはこのサイト制作者として地元の中学校等に言うことはできるが,私からは一切かれらの意味を問うたり何かの相手になったりするつもりは無い( 私には無いベクトルなので,理由のだれかが私にきちんと説明できるだけでいい。私は一刻も早くこのサイトへの実害の弁償金を支払ってほしい。)兎に角,私は世界に対して‘ 夢見の実践 ’オケダコウシロウ先生の本であり,むしろ路上に他人を無視できないかのような?それらへの“ 分裂 ”に警告しておいた。]
私からの方策としては;“ 夢見の実践のひとつに逆方的な犠牲を強いる分離-霊たち ”という立体的な一評価を,この本に一致すること。

2020-11-17:

両目の鼻ひとつに注目し,それとの地平線上にみるようにできるだけリフトアップしてみる( -私の顔面実験のために思い着いた方法だが,メンタルからのケアーにも応用可能であろう..。)

ある記憶の( 対象的に投影される記憶索引,またはそれのように代表されるものの原型? )
もし( 私が )“ 夢 ”に主体的に見れないの原因が,生殖的な活動本位の部分に依拠しなくなったからなら,私としてはNLPのように生殖の衝動自体を私の目的に拠って明確な定式と擬制的にでもプログラミングできたかもしれなかった〔前記-頁 “ 不安の正体 ”のカテゴリー:焦点にて. 〕
詰まり,ここでは刺激や受けではなく,私が主体的に利用できるか。
しかし,私が最大限に起きて‘ すべての先頭 ’にいるときには,これらも考慮不必要だろう。“ 観察 ”の必要性よりも実在性が優位なので,ときのように他-要素は存在しない。( 衝動の強い程に“ 夢 ”や幻覚の機会も増すのだろう。このまえ最後に“ 女体 ”が表れた場面では,それが背中に男性×のおしりを思わせるようなスリットが遇ったので,一瞬その象徴性に判断回路が働いたのかもしれなかった。そのような象徴自体に向かっての( それ以前の“ 夢の表れ ”検討どれかに拠って )予め‘ 夢に対する ’条件付けが意識的に行われた可能性が在った,-というのが,ここでの理論的な見方だ。このような試みが自動反復に繋がる。)

不在キャラクター性の従来問題? )
午前中.普通夢。夜のコンビニエンス店舗-駐車場,わたしは自転車を移動させてその囲い壁際の左端にもたれかけさせる( 新しそうな,スポーティーな型。)その駐車場-少し内側に女の子たち何人かの喋り声.その反対側から老人ひとりの声が,なにか彼女らに説き聞かすように言う。
そこで夢から醒めたのは,“ 女の子たち ”には私の注意喚起されなかったが,その向こうに“ 老人 ”という( そのメンタル性-表れの発生, )自動的‘ 気がつく ’状態との条件に近づいたからだろう。その“ 自転車や囲い壁 ”には見慣れない形なので,象徴的な表れだとみなせる可能性はあるが..( もしそれらが‘ あたかも他人の場面みたようだ ’という印象自体として在れば,それらへの観察という対応できる。しかしこれは“ 普段 ”に予めの観察-条件として動かなければ?..の意味である。)私-自身との象徴とみれば。

2020-11-19: “ 外界 ”もとめるウソ.
昨夕.私は西の図書館内にいるあいだに一度だけ“ その場所( そこ )”という意識に無かった。そのあいだ私は個室にいてもフロアにいても同じだったろう。本来なら視界の変化や往き来など私の“ もの ”には変わりようが無い。ほんのちょっとのあいだだったが,何十年振りかに私は“ 周り ”身なかった( -メンタルピープルの無い。)
“ 外的考慮 ”以前に,先ず“ 物理的な世界 ”は詐欺だ,というひとの方が良かったかもしれない(“ 手前のファンタジー ”という持ち方では,ある意味-自決的な覚悟を要する。)しかし〔“ 私-以外 ”が居なくても,私は私として在る。私の焦点ただひとつ‘ これは夢に過ぎない ’というだけで良い。〕
言わば,それともはこの焦点の反転物だった。

-“ 周り空間 ”またはその消失については特定カテゴリーに一括しました( 下段表示; )

2020-11-24:
ひとつの論
-右側は受容しなかった( それゆえに投射的または強迫的だった。)だが,身体について自己実存的であるのが必ずしも悪いとは言えない。
〔( 私は )ひとつの目的。身体リラックス
( 部分からの- )緊張を解き,完全化する( -は無くなる. )〕
予め意とする。
( 衝動からの欲求- )同一的-すり替えに注意する。( -反芻は過去のもの. )

移動する右目 :2020-11-18 -