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相-反転を試みる

2018-01-11:
・性一致的に‘ 夢見 ’る。

・‘ 夢見の身体 ’で夢見る(‘ 夢見の身体 ’は時空を超える。)

- すべてのもの( 連想 )には由来がある。

2018-01-12:
○ あるジャズCDのノーツに“ foots ”という語とみて私の両足に効果が及んだようなので、おとなえにしてみる。“ foots! ”この一瞬私のイメージには2つの大理石-柱で遇った。私はこれを偶像にはしない。
[ 2018-01-14: 私は私の右足問題については大腿の内側と背部がより真ん中に戻れるように緊張部分を移す( 弛緩と緊張との部位を代える )気張らない体と発見した。長年これはペンと持ったりしていると中指と人差し指に立て掛けるのも難儀だった。
〔 この翌日ちょうど,あるテレビ番組で、骨盤の傾きに関して“ 利き尻のトリガーポイントは太股の内側だ ”と云っていた。
私としては‘ 真ん中に戻る ’というのが正しい。〕]

近所の100円ショップにメモ用の物を買いにいった。あのパイル編みソックスもある( 通気性が良いのか昨年‘ 自転車うんどう ’中にも私の両足がべたつかなかったので直履きにはこれだが、気温低下に付き二枚重ねでも足りない )。途中もう( 憶いだすこと )忘れていた。
そう言えば一度その店内の棚に私は( 不図 )私の両眼が変に視線を反れて真正面に視れなかったかのようだ。そこには幅40cm大のクッション前面に猫の顔が拡大プリントされたような物が置かれてあった( なんでかその両耳に合わせた形状かのように上部両端にわざわざ出ている部分も )。
私は‘ この脳みそにいまさら両眼の絵に反応するような動物が? ’と、それら3つ並べ直して私の真正面に視たが、無意識の反応があったのかどうかわからなかった。
[ “ 真正面に視れない ”と言うと、私は世田谷一家事件ファイルの頃その家族のれいという少年の写っている写真数枚が気に掛かった。無論、彼がどんな場合にもカメラ目線にできなかったのか私からは他に判断材料は無い。遺族・入江杏いりえ・あんさん述べた処の“ 発達障害 ”という言い方のむつかしさ( あるいはそれ自身の )問題だったのかどうかも。入江杏さんに関する2007年頃“ 家族 ”エピソード記事には、あたかもれいのこととして彼がその伯母さんに“ おっぱい星人 ”であったかのように書かれてあった。私のおはなしではそれは“ 2才半の ”だというが。
どうして私が“ 2才 ”になれるというのか? ]

2018-01-13
・たった今‘ 夢 ’を忘れる。
・両足を吸収する。

2018-01-14
私自身‘ 被害者意識 ’では駄目だった。( むしろ路傍グループなどから悪いイメージが持たれるとそれが他の子たちに影響しては差し向けたかのように、逆に被害者どうしの悪循環になってしまう )。だから私としてはそれらを書けば書く程に( おそらく他からの問題として )その受け手にされたかのようだというわけでもあった。
“ 霊感 ”があったとしてもわざわざ他人伝いに押し得るというのは人には良くなかった。

私は理論的には( 以前の私自身キャラクター化は望ましくないゆえ放棄され )私以外の全部が夢見の実践側だけでいい。そして私のものでなければいけない。

2018-01-15
例のディジーガレスピー楽団に拠る古臭いTVもののような-聴き直していた。その一瞬( 右眼-視界に,通常の寝不足のときにみられるノイズみたいな粒子状からのように )電源コード傍に小さな黒い羽ばたきのようなものが2つみえた。睡眠に近い状態か錯覚の一種かもしれないが、ちょうど“ I Remember Clifford ”風のトランペット演奏部分だったので、心理的にはそれが表れだろうと。しかし、電気コード自体が(象徴的に)“ エネルギー導体 ”とみなされるなら、いわゆる“ 指先オーラ視覚 ”みたいにそこに黒い線や放射状の動きとしてみえる可能性はある。
〔 古来“ 黒い飛来 ”は危険予言に示すものという見方もあったが、私は一般的な観念-説には感心しない,一視点に終始する。これからの知性( 知りたい )こそ次への導線だ。 〕

・前回の夢( 失敗例 )に想起しながら同時に‘ 夢での課題 ’意図する。

2018-01-16
・この一点のうんどうに徹する。
私自身のこれに‘ 夢見の実践 ’と( 無言に )いい続けた。
それの直前の夢では,その最後に‘ 路上と不審な態度の男 ’に反抗的な口をきかれたので、私はその‘ 正体 ’に知りたいと思った。
わずかな光の明滅のようなものや、一瞬あかるい白い光に床上の露光したみたいな横向きの扇風機がみえたりだった。
その次の‘ 夢 ’では私は完全に自覚があってそこで再度‘ 夢 ’のキャラクターに( 私自身のキャラクターだと思いながら )‘あなたにとっての夢とはなにか?’と質問した。直前なるべく温かくして‘ みよう ’としたのが成功したのだろう:
私はこれについて‘ 夢との私の自覚という点では私が昔記したように確かではあったが、私の夢自体になんなのか問うたり調べたりするという当初の目的から視れば、ただ私がその場にいたというだけだ。
私が憶えているのは,..古びた、かつて映画館の待合ホールとして使われていたようにみえる、その通路上に半分回り込んだような形の階段とテラスという空間だった。その片隅には制服姿の警備員がひとり立っていた。私がテラスから見下ろすと、その白っぽい壁面(その全面に一定間隔の並列凹凸というデザイン-古代遺跡の石柱等に遇ったような-)その下半分-隅に時間経過に因ってこびりついたような汚れがみえた。
次の室内はあかるくて、幼児たちが個々に玩具等や風船のようなもので遊んでいるようなところだった。私が歩いてみていると正面に30才代くらいの婦人ひとりが近づいた。特徴も好き嫌いも無いような普通の顔だった。私がなんと言ったのか( 私そこでは完全に夢だとわかっていた )、彼女は‘あなたが言っていた、ユングというひとの…’と要領を得ない、不確かな質問以前だった。

[ この夢の場面部分については,後日私の想い出して記したものだ(そのあいだ理由も思い付かなかったが,当日中に詳細を記すことが難しかったようだ。)私は夢の女性に質問した“ あなたにとっての夢とはなにか? ”という言葉を一度記したのに,なんでか想起のときにはその言葉自体を憶い出せなかったのだろう。]

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右足が硬くなったよう。

- ‘ みよう ’としながら‘ 私の夢 ’と憶う:
久々‘ 私の夢見 ’意気そのままに自転車と‘ 明晰夢のこと( 憶いだす ) ’と途切れず最後まで通せるかと試した。私が他事と忘れたのはその2時間中に15分間程だった。平和公園は閑静な住宅地みたいだった( なにか焼いたような匂い )。私はまた両膝がふれる程にこの両足どうしアライン修整して私の両足温もりは均整なりつつある( これは右足だけではなく左足の調整でもあった )。
むしろ帰着後忘れがちだった( なにか‘しよう’とするとき,室内灯スイッチ入れたりする瞬間には前回のように憶いだせる,他のものがないとき;なにも好きになろうとはしない。)
私自身の今日実例があるのでこれが実効的に働いている( 私が擬似的なキャラクターに命じて余計な事をしないというのが従来の否定形であったが、私がキャラクターに対して排斥するというよりも‘ 私の悪だった ’という認識があれば却って楽である )。